むかしのことば(こてんのことば 過去記事まとめ その1)
こてんのことば(日本古典文学に出てくる「言葉」について書いた文章)
日本古典文学に関する過去記事のまとめです。
日本古典文学について「四季の言葉」とは違う側面から書いてみた文章です。
夏目漱石の名文「こころ」を校正してみると?
『私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。』
新潮文庫の100冊2017に選ばれている夏目漱石「こころ(青空文庫)」
Web版の校正ツール「日本語校正サポート」を使って、校正してみたところ、こんな結果でした。
憚 難読 常用漢字表外の漢字 言い換えの例 なし
一か所だけ校正ツールが指摘したのは、憚る(はばかる)という字。
憚るは「思いあがる」という意味で使われる言葉だと記憶していますが、「言い換え例なし」って本当でしょうか。
これを言い換えるには……いくつか頭の中に候補が浮かびましたが、念のため、Weblio類語辞書で調べてみました。
憚る 自分を過大評価すること その類語は
増長する ・ 付け上がる ・ 思い上がる ・ いい気になる ・ 図に乗る ・ 調子に乗る ・ 調子づく ・ 調子をこく ・ 驕る ・ 驕り高ぶる ・ 慢心する ・ 自惚れる ・ 高ぶる ・ 偉ぶる ・ 世にはばかる ・ 分をわきまえない ・ つけ上がる ・ 胡坐をかく ・ テングになる ・ 傲慢になる ・ 思いあがる ・ 先輩風を吹かせる ・ ふんぞり返る ・ 自分を過信する ・ 自信過剰になる ・ 自己過信する ・ うぬぼれる ・ 畏れを知らない ・ 神をも畏れぬ ・ うぬぼれが強い ・ 大物ぶる ・ 大きな顔をする
これだけたくさんありました。
それぞれの言葉が微妙に違うニュアンスを持つ日本の言葉。
大切にしたいですね。
(2007.8.1)
変わりゆく日本語表現
『「先生に聞きに行きませう。」 と、花子さんは、その貝をもつて、先生のところへ走つて行きました。』
この文例が作成されたのは昭和21年3月。
文部省で編修・作成する教科書や文書などの国語の表記法を統一し、その基準を示すために、文部省教科書局調査課国語調査室が編纂した4冊の冊子の中にあります。
昭和21年(1946)年、今から70年前に「正しい文章の書き方」と決められたものですが、現在でも一部が公用文、学校教育その他で参考にされています。
たった70年で「正しい日本語表記」が、ここまで変わってしまうなんて。
正しい日本語ってなんだろう?
日本の昔の文章、古文や漢文を勉強してきた私には、「この文章が絶対正しい」と言い切る自信がありません。
文化庁第3回国語審議委員会は『正書法の問題 正書法について(報告)』で、
『「現代かなづかい」は,「大体,現代語音にもとづいて,現代語をかなで書きあらわす場合の準則」であるから,その適用として示された中には,必ずしも現代語音にもとづかないものがある。「現代かなづかい」は歴史的かなづかいでないことはもちろん,音韻表記としても徹底的なものではない。』
と、正しい日本語表記が確立されていないことを認めています。
そして『正書法について(報告)2』で、
『われわれは正書法の確立について,今後さらに広く実践と研究が行われることを期待するものである。』
と、今後の研究に期待している状態。
言葉は時代によって、どんどん変わっていきます。
私はライティングアドバイザーとして、他人の文章を「正しい状態に直す」のではなく、「悪いところだけを直す」ように心がけているのは、そのためなのです。
(2017.7.29)
尊敬する作家・小泉八雲
『東京の赤坂通りに、「きいのくに坂」という坂があります。それは、「紀伊の国の坂」という意味です。なぜそのようによばれているのか、私にはわかりません。』
『むじな』という話の冒頭です。
作品は『怪談』。
作者は小泉八雲、ラフカディオ・ハーンの名で知られている英米文学者。
日本人よりも日本人らしい人でした。
『怪談』は『耳なし芳一』や『雪女』などが有名で、原文は『KWAIDAN』。
英語で書かれているため、多くの日本人が翻訳しています。
Akasaka street of Tokyo, there is a slope called “kiinokunizaka”.
That means “the slope of the country of Kii”.
Why are called to such, I do not know.
へたくそですが、原文に近づけるために私が英訳してみました。
このわかりやすく引き込まれる文章の原文が、明治の外国人が書いたものと知った時、私は非常に驚きました。
……せめて小泉八雲の3分の1程度の才能があればなあ。
そう思いながら、これまで文章を書いてきました。
小学校高学年向けの『怪談』(小泉八雲著 山本和夫訳 ポプラ社)は、ルビがふってあるのでおすすめです。
(2017.6.24)
土佐日記為家本の思い出
川西市にある大阪青山歴史文学博物館。
平成11年に建造された天守閣を模した学校施設です。
国宝『土佐日記』(古くは「土左日記」と記されていた)』、『明月記』をはじめとする重要文化財16 件が収蔵されていますが、この『土佐日記』は『為家本』と呼ばれるもの。
学生だった1984年、「学校が大変な歴史的資料を手に入れた」と大騒ぎになり、当時、学校の図書館のガラスケースに納められた「為家本」を見た時の衝撃は、いまだに忘れられません。
『為家本』は、鎌倉時代の公家・歌人だった藤原為家が嘉禎 2(1236)年、蓮華王院にあった紀貫之自筆の『土左日記』を一字も違えずに書写したもの。
オリジナルの貫之自筆本が失われてしまったため、原本の姿を最も忠実に伝える学術文献資料として、1990年に重要文化財に、1999年に国宝に指定されました。
『土佐日記』の成立が平安時代の承平5年(935年)ですから、1000年以上前の物語が、何の変更も加えられることもなく伝えられ、今も愛されている……
これは一つの奇跡です。
(2017.5.13)
漢文……日本古典文学の源流