ふみづきのことば

文月は7月の和名

砂浜

 

文月は「ふづき、ふみづき」と読み、その意味・由来・語源には諸説あります。なかでも、「文被月(ふみひろげづき、ふみひらきづき)」が略されて「文月」に転じたという説は有力です。

この文被月とは、書道の上達を祈って、短冊に歌や願い事などを書く、七夕の行事にちなんだ呼び方だといわれています。

ほかにも、収穫が近づくにつれて稲穂が膨らむことから「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくむづき)」が転じて「文月(ふづき)」になったという説、稲穂の膨らみが見られる月であることから「穂見月(ほみづき)」が転じたという説もあります。

文月にまつわる昔の言葉を集めてみました。

きりはじめてはなをむすぶ

桐の花

 

桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木(ことき)どもとひとしう言ふべきにもあらず。
唐土にことごとしき名つきたる鳥の、選(え)りてこれにのみゐるらむ、いみじう心異なり。
まいて、琴に作りて、さまざまなる音の出で来るなどは、をかしなど、世の常に言ふべくや はある。いみじうこそめでたけれ。

【現代語訳】

紫色の桐の木の花が咲いているのは趣深い。
葉の広がり方がいやに大げさだけれども、他の木と同じように扱いをするべきではない。
中国で「鳳凰」という大げさな名前のついている鳥が、この木にだけ住むそうだが、確かにたいそう格別である。

まして、琴に作って、さまざまな音が出てくることなどは、「趣深い」などと、世の常のように言うことができるだろうか、いや、できないほど、たいそうすばらしい。

清少納言は枕草子の『木の花は』の段で、桐のすばらしさを讃えています。

7月22日~26日頃は七十二候の「桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)」。
桐は7月末に花を咲かせ、盛夏を迎える頃には、卵形の実を結びます。

桐の紋は豊臣秀吉が好んだことで知られ、現在も日本国政府の紋章に使われています。

(2018.7.22)

はすはじめてひらく

蓮
み佩かしを 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の ゆくへなみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝ねそと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我れは忘れじ 直に逢ふまでに   (作者未詳 万葉集 13巻 3289)

(みはかしを、つるぎのいけの、はちすばに、たまれるみづの、ゆくへなみ、わがするときに、あふべしと、あひたるきみを、ないねそと、ははきこせども、あがこころ、きよすみのいけの、いけのそこ、われはわすれじ、ただにあふまでに)
【意訳】
明日香の剣池の蓮葉にたまっている水が、どちらに動くか分からないように、どうしてよいのか途方に暮れていた時に、「逢うべき運命なのだ」と占いのお告げによってお逢いした貴方。それなのに、母は一緒に寝てはいけないと言うのです。私の心は清隅の池の底が深いように、貴方のことを深くお慕いしていますのに。もう一度じかにお逢いできるまで、貴方のことを決して忘れません。  み佩かし:剣の掛詞)

 

【反歌】
古の 神の時より 逢ひけらし 今の心も 常忘らえず  (作者未詳 万葉集 13巻 3290)

(いにしへのかみのときよりあいけらし いまのこころもつねわすらえず)
【意訳】
古の 神代の昔から 男と女は逢って来たらしい 今のわたしの心も ずっと変わらない

 

現在では孝元天皇の御陵の壕となっている「剣の池」は、灌漑用に掘られた池。
池の底に剣が埋まっているという伝説があります。

日本書記に「応神記11年に剣池、軽池、鹿垣(かのかき)池、厩坂(うまやさかの)池が作られた」とあり、635年、644年に、1つの茎に2つの蓮の花が咲く瑞兆があったと伝えられています。

7月12日~16日は「はすはじめてひらく」。
蓮がゆっくりと蕾をほどき、花を咲かせる頃。
花が開いて4日目には散ってしまう、とても儚い花と、一対の恋の歌。

剣池……一度行ってみたいところです。

(2018.7.12)

たなばた

笹昔、七夕は「棚機(たなばた)」と呼ばれていました。
「棚機(たなばた)」は、棚機女(たなばたつめ)として、選ばれた乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈り、人々の穢れをはらう古い日本の神事でした。
乙女が着物を織る時に使われた織り機が「棚機(たなばた)」です。

仏教が伝わると、お盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりま、「七夕」という字が当てられたと言われています。

一方、織女星(琴座のベガ)は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星。
この二つの星は、旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝くことから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕ストーリーが生まれました。

やがて、中国では、7月7日に織女星にあやかって、はた織りや裁縫の上達の願う行事「乞巧奠(きこうでん)」が生まれました。

それが、平安時代に日本に伝わり、宮中行事になりました。
七夕行事では「天の川のしずく」、サトイモの葉にたまった夜露に墨を溶かし、祭具を作る神聖な梶の葉に和歌を書いて願いごとをしていました。

願い事を書くものは、梶の葉から短冊に変わったのが、江戸時代。
冬でも緑を保ち、まっすぐ育つ生命力にあふれた笹や竹には、昔から不思議な力があるとされ、神が宿るともいわれています。

今年は織姫と彦星が出会えるといいですね。
(2018.7.6)

 

はんげしょうず

雨に濡れた葉

 

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

清原深養父(きよはらのふかやぶ) 古今集

(夏の夜は、まだ宵の時分だと思っていたら、もう明けてしまった。月も雲のどこのあたりに宿をとっているのだろうか)

夏の短い夜を歌ったものですが、この時期は七十二候の「半夏生(はんげしょうず)」。

7月1日~7月6日頃、半夏(からすびじゃく)が生える、稲の田植えを終える目安になる時期。

ちなみに、半夏生(ハンゲショウ)と呼ばれているのは、ドクダミ科の多年草で、半夏とは別の植物です。

梅雨も明け、いよいよ夏がきます。

(2018.7.6)